これも今は昔慈恵僧正は近江国浅井郡の人なり。叡山の戒壇を人夫かなはざりければえ築かざりける比浅井の郡司は親しき上に師壇にて仏事を修する間この僧正を請じ奉りて僧膳の料に前にて大豆を煎りて酢を懸けけるを。何しに酢をば懸くるぞ。と問はれければ郡司曰く。暖かなる時酢を懸けつればすむつかりとてにがみてよく挟まるるなり。然らざれば滑りて挟まれぬるなり。と云ふ。僧正の曰く。いかなりともなじかは挟まぬやうやあるべき。投げやるとも挟み食ひてん。とありければ。いかでかさる事あるべき。と争ひけり。
僧正。勝ち申なば異事はあるべからず戒壇を築きて給へ。とありければ。安き事。とて煎大豆を投げ遣るに一間ばかり退きて居給ひて一度も落さず挟まれけり。見る者あざまずといふ事なし。柚の実の只今しぼり出だしたるを交ぜて投げ遣りたりけるをぞ挟みすべらかし給ひけれど落しもたてずまたやがて挟み留め給ひける。郡司一家広き者なれば人数をおこして不日に戒壇を築てけりとぞ。