宇治拾遺物語 - 001 道命阿闍梨和泉式部の許に於いて読経し五条道祖神聴聞の事

今は昔道命阿闍梨とて傅殿の子に色にふけりたる僧ありけり。和泉式部に通ひけり。経をめでたく読みけり。それが和泉式部許行きて臥したりけるに目覚めて経を心を澄して読みけるほどに八巻読み果てて暁に微睡まんとするほどに人の気はひのしければ。あれは誰そ。と問ひければ。己は五条西洞院の辺に候ふ翁に候ふ。と答へければ。こは何事ぞ。と道命云ひければ。この御経を今宵うけたまはりぬる事の生々世々忘れ難く候ふ。と云ひければ道命。法華経を読み奉る事は常の事なり。何ど今宵しも云はるるぞ。と云ひければ五条の斉曰く。清くて読みまゐらせ給ふ時は梵天帝釈を始め奉りて聴聞せさせ給へば翁などは近づき参りて承るに及び候はず。今宵は御行水も候はで読み奉らせ給へば梵天帝釈も御聴聞候はぬ間にて翁参り寄りて承りて候ひぬる事の忘れ難く候ふなり。と述給ひけり。
さればはかなくさい読み奉るとも清くて読み奉るべき事なり。念仏読経四威儀を破ることなかれ。と恵心の御房も戒め給ふにこそ。

宇治拾遺物語 - 002 丹波国篠村に平茸生ふる事

これも今は昔丹波国篠村といふ所に年比平茸やるかたもなく多かりけり。里村の者これを取りて人にもこころざしまた我も食ひなどして年比過ぐるほどにその里にとりて主とある者の夢に頭小掴みなる法師どもの二十三人ばかり出で来て。申すべき事。と云ひければ。いかなる人ぞ。と問ふに。この法師ばらはこの年比も宮仕ひよくして候ひつるがこの里の縁尽きて今は他所へ罷り候ひなんずることの且は哀にも候ふ。また事の由を申さではと思ひてこの由を申すなり。と云ふと見てうち醒きて。こは何事ぞ。と妻や子やなどに語るほどにまたその里の人の夢にも。この定に見えたり。とて数多同じやうに語れば心も得で年も暮れぬ。
さて次の年の九十月にもなりぬるにさきざき出で来る程なれば山に入りて茸を求むるに総て蔬大方見えず。いかなる事にか。と里国の者思ひて過ぐるほどに故仲胤僧都とて説法並びなき人いましけり。この事を聞きて。こはいかに。不浄説法する法師平茸に生まるといふ事のあるものを。と述給ひてけり。
さればいかにもいかにも平茸は食はざらんに事欠くまじきものとぞ。

宇治拾遺物語 - 003 鬼に瘤取らるる事

これも今は昔右の顔に大きなる瘤ある翁ありけり。大かうじの程なり。人にまじるに及ばねば薪をとりて世を過ぐるほどに山へ行きぬ。雨風はしたなくて帰るに及ばで山の中に心にもあらず留まりぬ。また樵夫もなかりけり。怖ろしさすべき方なし。
木の空虚のありけるに這ひ入りて目も合はず屈まり居たるほどに遥より人の声多くしてとどめき来る音す。いかにも山の中に只だ独り居たるに人の気はひのしければ少し生き出づる心地して見出だしければ大方やうやうさまざまなる者ども赤き色には青き物を著黒き色には赤き物を著犢鼻褌にかき大方目一つあるものあり口なき者など大方いかにも言ふべきにあらぬ者ども百人ばかりひしめき集りて火を貂の目の如くにともして我が居たる空虚木の前に居まはりぬ。大方いとど物覚えず。主とあると見ゆる鬼横座に居たり。表裏に二列に居並みたる鬼数を知らず。その姿各云ひ尽し難し。酒まゐらせ遊ぶ有様この世の人のする定なり。度々土器はじまりて主との鬼殊の外に酔ひたるやうなり。末より若き鬼一人立ちて折敷をかざして何と云ふにかくどきくせせる事を云ひて横座の鬼の前に黎り出でて口説くめり。横座の鬼杯を左の手に持ちて笑みこだれたる様ただこの世の人の如し。舞ひて入りぬ。次第に下より舞ふ。悪しく舞ふもあり善く舞ふもあり。
あさましと見るほどにこの横座に居たる鬼の云ふやう。今宵の御遊こそ何時にも勝れたれ。但しさも珍らしからん舞奏を見ばや。など云ふにこの翁。物の付きたりけるにや。また神仏の思はせ給ひけるにや。あはれ走り出でて舞はばや。と思ふを一度は思ひ返しつ。それに何となく鬼どもが打ちあげたる拍子の善げに聞えければ。さもあれただ走り出でて舞ひてん死なばさてありなん。と思ひ取りて木の空虚より烏帽子は鼻に垂れ掛けたる翁の腰に斧といふ木切る物さして横座の鬼の居たる前に躍り出でたり。この鬼ども跳り上りて。こは何ぞ。と騒ぎ合へり。翁伸び上がり屈まりて舞ふべき限りすぢりもぢりえい声を出だして一庭を走り廻り舞ふ。横座の鬼より始めて集まり居たる鬼ども感歎み興ず。
横座の鬼の曰く。多くの年比この遊をしつれども未だかかるものにこそ逢はざりつれ。今よりこの翁かやうの御遊に必ず参れ。と云ふ。翁申すやう。沙汰に及び候はず参り候ふべし。この度は俄にて秘曲の手も忘れ候ひにたり。かやうに御覧に適ひ候はば静かに仕う奉り候はん。と云ふ。横座の鬼。いみじく申したり。必ず参るべきなり。と云ふ。
奥の座の三番目に居たる鬼。この翁かくは申し候へども参らぬ事も候はんずらん。おぼしし質をや取らるべく候ふらん。と云ふ。横座の鬼。然るべし然るべし。と云ひて。何をか取るべき。と各云ひ沙汰するに横座の鬼の云ふやう。かの翁が面にある瘤をや取るべき。瘤は福の物なればそれをや惜しみ思ふらん。と云ふに翁が云ふやう。ただ目鼻をば召すともこの瘤は許し給ひ候はん。年比持ちて候ふ物を故なく召されん条なき事に候ひなん。と云へば横座の鬼。かう惜しみ申す物なり。ただそれを取るべし。と云へば鬼寄りて。さは取るぞ。とて捻ぢて引くに大方痛きことなし。さて。必ずこの度の御遊に参るべし。とて暁に鳥など鳴きぬれば鬼ども帰りぬ。
翁顔をさぐるに年来ありし瘤跡形なく掻い拭ひたるやうに更々なかりければ樵らん事も忘れて家に帰りぬ。妻のうば。こはいかなりつる事ぞ。と問へばしかじかと語る。あさましき事かな。と云ふ。隣にある翁左の顔に大きなる瘤ありけるがこの翁瘤の失せたるを見て。こはいかにして瘤は失せ給ひたるぞ。何処なる医師の取り申したるぞ。我に伝へ給へ。この瘤取らん。と云ひければ。これは医師の取りたるにもあらずしかじかの事ありて鬼の取りたるなり。と云ひければ。我その定にして取らん。とて事の次第を細かに問ひければ教へつ。
この翁云ふままにしてその木の空虚に入りて待ちければ誠に聞くやうにして鬼ども出で来たり。居まはりて酒飲み遊びて。いづら翁は参りたるか。と云ひければこの翁。怖ろし。と思ひながらゆるぎ出でたれば鬼ども。ここに翁参りて候ふ。と申せば横座の鬼。こち参れ。疾く舞へ。と云へば前の翁よりは天骨もなく疎々奏でたりければ。この度は悪ろく舞ひたり。かへすがへす悪ろし。その取りたりし質の瘤返し給べ。と云ひければ末つ方より鬼出で来て。質の瘤返し給ぶぞ。とて今片方の顔に投げ付けたりければ左右へに瘤付きたる翁にこそなりたりけれ。物羨みはせまじき事なりとか。

宇治拾遺物語 - 004 伴大納言の事

これも今は昔伴大納言善男は佐渡国の郡司が従者なり。かの国にて善男夢に見るやう。西大寺と東大寺とを跨げて立ちたり。と見て妻の女にこの由を語る。妻の曰く。そこの股こそ裂かれんずらめ。と合はするに善男驚きて。由なき事を語りてけるかな。と恐れ思ひて主の郡司が家へ行き向ふ所に郡司極めたる相人なりけるが日比はさもせぬに殊の外に饗応して円座とり出でむかひて召し上せければ善男怪みをなして。我をすかしのぼせて妻の云ひつるやうに股など裂かんずるやらん。と怖れ思ふほどに郡司が曰く。汝やんごとなき高相の夢見てけり。それに由なき人に語りてけり。かならず大位には至るとも事出で来て罪を被ぶらんぞ。と云ふ。
然る間善男縁につきて上京して大納言に至る。されども犯罪を被ぶる。郡司が詞に違はず。