今は昔道命阿闍梨とて傅殿の子に色にふけりたる僧ありけり。和泉式部に通ひけり。経をめでたく読みけり。それが和泉式部許行きて臥したりけるに目覚めて経を心を澄して読みけるほどに八巻読み果てて暁に微睡まんとするほどに人の気はひのしければ。あれは誰そ。と問ひければ。己は五条西洞院の辺に候ふ翁に候ふ。と答へければ。こは何事ぞ。と道命云ひければ。この御経を今宵うけたまはりぬる事の生々世々忘れ難く候ふ。と云ひければ道命。法華経を読み奉る事は常の事なり。何ど今宵しも云はるるぞ。と云ひければ五条の斉曰く。清くて読みまゐらせ給ふ時は梵天帝釈を始め奉りて聴聞せさせ給へば翁などは近づき参りて承るに及び候はず。今宵は御行水も候はで読み奉らせ給へば梵天帝釈も御聴聞候はぬ間にて翁参り寄りて承りて候ひぬる事の忘れ難く候ふなり。と述給ひけり。
さればはかなくさい読み奉るとも清くて読み奉るべき事なり。念仏読経四威儀を破ることなかれ。と恵心の御房も戒め給ふにこそ。