宇治拾遺物語 - 118 播磨守佐大夫が事

今は昔播磨守公行が子に佐太夫とて五条わたりに在りし者はこの比ある顕宗といふ者の父なり。その佐太夫は阿波守さとなりが供に阿波へ下りけるに道にて死にけり。その佐太夫は河内前司といひし人の類にてぞありける。その河内前司がもとに黄班なる牛ありけり。その牛を人の借りて車掛けて淀へ遣りけるに樋爪の橋にて牛飼悪しく遣りて片輪を橋より落したりけるに引かれて車の橋より下に落ちけるを。車の落つる。と心えて牛の踏み広ごりて立てりければ胸繋切れて車は落ちて砕けにけり。
牛は一つ橋の上に留りてぞありける。人も乗らぬ車なりければ傷はるる人もなかりけり。えせ牛ならましかば引かれて落ちて牛も傷はれまし。いみじき牛の力かな。とてその辺の人云ひ褒めける。
かくてこの牛をいたはり飼ふほどにこの牛いかにして失せたるといふ事なくて失せにけり。こはいかなる事ぞ。と求め騒げどなし。離れて出でたるか。とて近くより遠くまで尋ね求めさすれどもなければ。いみじかりつる牛を失ひつる。と歎くほどに河内前司が夢に見るやう。この佐太夫が来たりければ。これは海に落ち入りて死にけると聞く人のいかに来たるにか。と思ひ思ひ出で逢ひたりければ佐太夫が云ふやう。我はこの艮の隅にあり。それより日に一度樋爪の橋の許に罷りて苦を受け侍るなり。それに己が罪の深くて身の極めて重く侍れば乗物の堪へずしてかちより罷るが苦しきにこの黄班の御車牛の力の強くて乗りて侍るにいみじく求めさせ給へば今五日ありて六日と申さん巳の時ばかりには返し奉らん。いたくな求め給ひそ。と見て覚めにけり。
かかる夢をこそ見つれ。と云ひて過ぎぬ。その夢見つるより六日といふ巳の時ばかりにそぞろにこの牛歩み入りたりけるがいみじく大事したりげにて苦しげに舌垂れ汗水にてぞ入りたりける。この樋爪の橋にて車落ち入り牛は留まりたりける折なんどに行き合ひて。力強き牛かなと見て借りて乗りて歩きけるにやありけん。と思ひけるも恐ろしかりけり。と河内前司語りしなり。