宇治拾遺物語 - 134 日蔵上人吉野山にて鬼に逢ふ事

昔吉野山の日蔵の君吉野の奥に行ひ歩りき給ひけるに長七尺ばかりの鬼身の色は紺青の色にて髪は火の如くに赤く頚細く胸骨は殊にさし出でて苛めき腹ふくれて脛は細くありけるがこの行人に逢ひて手を束ねて泣く事限りなし。これは何事する鬼ぞ。と問へばこの鬼涙にむせびながら申すやう。我はこの四五百年を過ぎての昔人にて候ひしが人の為に恨みを残して今はかかる鬼の身となりて候ふ。さてその敵をば思ひの如くに取り殺してき。それが子孫曽孫玄孫に至るまで残りなく取り殺し果てて今は殺すべき者なくなりぬ。さればなほ彼等が生れ代りまかる後までも知りて取り殺さんと思ひ候ふに次々の生れ所つゆも知らねばとり殺すべきやうなし。瞋恚の焔は同じやうに燃ゆれども敵の子孫は絶え果てたり。我一人尽きせぬ瞋恚の焔に燃えこがれてせん方なき苦をのみ受け侍り。かかる心を起さざらましかば極楽天上にも生れなまし。殊に恨みを留めてかかる身となりて無量億劫の苦を受けんとする事のせん方なく悲しく候ふ。人の為に恨みを残すはしかしながら我が身の為にてこそありけれ。敵の子孫は尽き果てぬ。我命は極まりもなし。かねてこのやうを知らましかばかかる怨みをば残さざらまし。と云ひ続けて涙を流して泣く事限りなし。その間に上より焔やうやう燃え出でけり。さて山の奥ざまへ歩み入りけり。さて日蔵の君哀れと思ひてそれが為にさまざまの罪亡ぶべき事どもをし給ひけるとぞ。