宇治拾遺物語 - 144 聖宝僧正一条大路を渡る事

昔東大寺に上座法師のいみじく富裕きありけり。つゆばかりも人に物与ふる事をせず慳貪に罪深く見えければその時聖宝僧正の若き僧にておはしけるがこの上座の物をしむ罪のあさましきにとてわざと争ひをせられけり。御房何事したらんに大衆に僧供ひかん。と云ひければ上座思ふやう。物争ひしてもし負けたらんに僧供ひかんも由なし。さりながら衆中にてかく云ふ事を何とも答へざらんも口惜し。と思ひて彼がえすまじき事を思ひめぐらして云ふやう。賀茂祭の日真裸にて犢鼻褌ばかりをして干鮭太刀に佩きて痩せたる女牛に乗りて一条大路を大宮より河原まで。我は東大寺の聖宝なり。と高く名告りて渡り給へ。しからばこの御寺の大衆より下部に至るまで大僧供ひかん。と云ふ。心中に。さりともよもせじ。と思ひければ固くあらがふ。聖宝大衆皆催し集めて大仏の御前にて鐘打ちて仏に申して去りぬ。
その期近くなりて一条富小路に桟敷うちて。聖宝が渡らん見ん。とて大衆皆集まりぬ。上座もありけり。暫くありて大路の見物の者ども夥しく喧騒る。何事かあらん。と思ひて頭さし出だして西の方を見やれば牝牛に乗りたる法師の裸なるが干鮭を太刀に佩きて牛の尻をはたはたと打ちて尻に百千の童部つきて。東大寺の聖宝こそ上座と争ひして渡れ。と高く云ひけり。
その年の祭にはこれを詮にてぞありける。さて大衆各寺に帰りて上座に大僧供ひかせたりけり。この事御門聞し召して。聖宝は我が身を捨てて人を導く者にこそありけれ。今の世にいかでかかる貴き人ありけん。とて召し出だして僧正まで成しあげさせ給ひけり。上の醍醐はこの僧正の建立なり。