宇治拾遺物語 - 163 亀を買ひて放す事

昔天竺の人宝を買はん為に銭五十貫を子に持たせてやる。大きなる河のはたを行くに舟に乗りたる人あり。舟の方を見遣れば舟より亀首をさし出だしたり。銭持ちたる人立ち止まりてこの亀をば。何の料ぞ。と問へば。殺して物にせんずる。と云ふ。その亀買はん。と云へばこの舟の人曰く。いみじき大切の事ありて設けたる亀なればいみじき価なりとも売るまじき。由を云へばなほ強ちに手を摩りてこの五十貫の銭にて亀を買ひ取りて放ちつ。
心に思ふやう。親の宝買ひに隣の国へ遣りつる銭を亀に代へて止みぬれば親いかに腹立ち給はんずらん。さりとてまた親の許へ往かであるべきにあらねば親の許へ帰り行くに道に人居て云ふやう。ここ処に亀売りつる人はこの下の渡にて舟打返して死にぬ。と語るを聞きて親の家に帰り行きて銭は亀に代へつる由語らんと思ふほどに親の云ふやう。何とてこの銭をば返しおこせたるぞ。と問へば子の曰く。さる事なし。その銭にては云々亀に代へて許しつればその由を申さんとて参りつるなり。と云へば親の云ふやう。黒き衣きたる人同じやうなるが五人各十貫づつ持ちて来たりつる。これそなり。とて見せければこの銭未だ濡れながらあり。はや買ひて放しつる亀のその銭河に落ち入るを見て取り持ちて親の許に子の帰らぬ先きに遣りけるなり。

宇治拾遺物語 - 164 夢買ふ人の事