宇治拾遺物語 - 172 清滝川聖の事

今は昔清滝川の奥に柴の庵を作りて行ふ僧ありけり。水欲しき時は水瓶を飛ばして汲みに遣りて飲みけり。年経にければ。かばかりの行者はあらじ。と時々慢心起こりけり。
かかりけるほどに我が居たる上ざまより水瓶来て水を汲む。いかなる物のまたかくはするやらん。と嫉ましく覚えければ。見顕はさん。と思ふほどに例の水瓶飛び来て水を汲みて行く。その時水瓶に付きて行きて見るに水上に五六十町上りて庵見ゆ。
行きて見れば三間ばかりなる庵あり。持仏堂別にいみじく造りたり。誠にいみじう尊し。物清く住まひたり。庭に橘の木あり。木の下に行ひ通ひしたる跡あり。閼伽棚の下に花がら多く積れり。砌に苔むしたり。神さびたる事限りなし。窓の隙より覘けば机に経多く巻きさしたるなどあり。不断香の煙満ちたり。能く見れば歳七八十ばかりなる僧の貴げなる五鈷をにぎり脇足におし懸かりて眠り居たり。
この聖を試みん。と思ひてやはら寄りて火界呪をもちて加持す。火焔俄に起りて庵につく。聖眠りながら散杖を取りて香水にさし浸して四方に灑ぐ。その時庵の火は消えて我が衣に火付きてただ焼きに焼く。下の聖大声を放ちて惑ふ時に上の聖目を見あげて散杖を持ちて下の聖の頭に灑ぐ。その時火消えぬ。
上の聖の曰く。何料にかかる目をば見すぞ。と問ふ。答へて曰く。これは年頃河のつらに庵を結びて行ひ候ふ修行者にて候ふ。この程水瓶の来て水を汲み候ひつる時に。いかなる人のおはしますぞ。と思ひ候ひて。見顕し奉らん。とて参たり。ちと心み奉らん。とて加持しつるなり。御免し候へ。今日よりは御弟子になりて仕り侍らん。と云ふに聖。人は何事云ふぞ。とも思はぬ気にてありけりとぞ。下の聖。我ばかり尊き者はあらじ。と驕慢の心のありければ仏の憎みてまさる聖を設けて逢はせられけるなりとぞ語り伝へたる。

宇治拾遺物語 - 173 優婆崛多弟子の事