宇治拾遺物語 - 110 恒政が郎等仏供養の事

昔兵藤大夫恒政と云ふ物ありき。それは筑前国山鹿の庄といひし所に住みし。またそこに仮初に居たる人ありけり。恒政が郎等に政行とてありし男の。仏造り奉りて供養し奉らんとす。と聞き渡りて恒政が居たる方に物食ひ酒飲み喧騒るを。こは何事するぞ。と云はすれば。政行と云ふ者の仏供養し奉らんとて主の許にかう仕りたるをかたへの郎等どものたべ喧騒るなり。今日饗百膳ばかりぞ仕る。明日そこの御前の御料には恒政やがて具して参るべく候ふなる。と云へば。仏供養し奉る人は必ずかくやはする。田舎の者は仏供養し奉らんとてかねて四五日よりかかる事どもをし奉るなり。昨日一昨日は己が私に里隣私の者ども呼び集めて候ひつる。と云へば。をかしかりつる事かな。と云ひて。明日を待つべきなめり。と云ひてやみぬ。
明けぬればいつしかと待居たるほどに恒政出で来にたり。さなめり。と思ふほどに。いづらこれ参らせよ。と云ふ。さればよ。と思ふにさせる事はなけれど高く大きに盛りたる物ども持て来つつ据うめり。侍の料とて悪しくもあらぬ饗一二膳ばかり据ゑつ。雑色女どもの料に至るまで数多く持て来たり。講師の御試みとてこだいなる物据ゑたり。講師にはこの旅なる人の具したる僧をせんとしけるなりけり。
かくて物食ひ酒飲なみどするほどにこの講師に請ぜられんずる僧の云ふやうは。明日の講師とは承れどもその仏を供養せんずるぞとこそえ承らね。何仏を供養し奉るにかあらん。仏は数多おはしますなり。承りて説経をもせばや。と云へば恒政聞きて。さる事なり。とて。政行や候ふ。と云へばこの仏供養し奉らんとする男なるべし。たけ高くお背屈みたる者赤髭にて年齢五十ばかりなる太刀佩き股貫はきて出で来たり。此方へ参れ。と云へば庭中に参りて居たるに恒政。かの真人は何仏を供養し奉らんずるぞ。と云へば。いかでか知り奉らんずる。と云ふ。
こはいかに誰が知るべきぞ。もしこと人の供養し奉るをただ供養の事の限りをするか。と問へば。さも候はず。政行まろが供養し奉るなり。と云ふ。さてはいかでか何仏とは知り奉らぬぞ。と云へば。仏師こそは知りて候ふらめ。と云ふ。あやしけれど。実にさもあるらん。この男仏の御名を忘れたるならん。と思ひて。その仏師は何処にかある。と問へば。叡明寺に候ふ。と云へば。さては近かんなり。呼べ。と云へばこの男帰入りて呼びて来たり。平面なる法師の太りたるが六十ばかりなるにてあり。物に心得たるらんかしと見たり。出で来て政行に並びて居たるに。この僧は仏師か。と問へば。さに候ふ。と云ふ。政行が仏や造りたる。と問へば。造り奉りたり。と云ふ。幾頭造り奉りたるぞ。と問へば。五頭造り奉れり。と云ふ。さてそれは何仏を造り奉りたるぞ。と問へば。え知り候はず。と答ふ。こはいかに。政行知らずと云ふ。仏師知らずは誰が知らんぞ。と云へば。仏師はいかで知り候はん。仏師の知るやうは候はず。といえば。さは誰が知るべきぞ。と云へば。講師の御房こそ知らせ給はめ。と云ふ。こはいかに。とて集まりて笑ひ喧騒れば仏師は腹立ちて。物の様体も知らせ給はざりけり。とて立ちぬ。こはいかなる事ぞ。とて尋ぬれば。はやうただ仏つくり奉れ。と云へばただ円頭にて斉の神の冠もなきやうなる物を五頭刻み立てて供養し奉らん講師して。その仏。かの仏。と名を付け奉るなりけり。それを問ひ聞きてをかしかりし中にも。同じ功徳にもなれば。と聞きし。怪しのものどもこそかく希有の事どもをし侍けるなれ。