宇治拾遺物語 - 025 鼻長き僧の事

昔池の尾に禅珍内供と云ふ僧住みける。真言などよく習ひて年久しく行ひて貴かりければ世の人々様々の祈りをせさせければ身の徳ゆたかにて堂も僧坊も少しも荒れたる所なし。仏供御灯なども絶えず折節の僧膳寺の講演繁く行はせければ寺中の僧坊に隙なく僧も住み賑ひけり。湯屋には湯沸さぬ日なく沐み喧騒りけり。またその辺には小家ども多く出で来て里も賑ひけり。

さてこの内供は鼻長かりけり。五六寸ばかりなりければ頤より下りてぞ見えける。色は赤紫にて大柑子の膚のやうに粒立ちて脹れたり。痒がる事限りなし。提に湯をかへらかして折敷を鼻さし入ばかり彫り通して火の炎の顔に当らぬやうにしてその折敷の穴より鼻さし出でて提の湯にさし入れて能く茹て引上げたれば色は濃き紫色なり。それを側ざまに臥せ下に物を当てて人に踏ますれば粒立ちたる穴毎に煙のやうなる物出づ。それをいたく蹈めば白き虫の穴毎にさし出づるを毛抜にてぬけば四分ばかりなる白き虫を穴毎に取り出だす。その跡は穴多くあきて見ゆ。それをまた同じ湯に入れてさらめかし沸すに茹づれば鼻小さく萎みあがりて尋常の人の鼻のやうになりぬ。また二三日になれば前の如くに腫れて大きになりぬ。かくの如くしつつ腫れたる日数は多くありければ物食ひける時は弟子の法師に平なる板の一尺ばかりなるが広さ一寸ばかりなるを鼻の下にさし入て対ひ居て上ざまへ持上げさせて物食ひ果つるまではありけり。他人して持上げさする折は荒く持上げければ腹を立てて物も食はず。さればこの法師一人を定めて物食ふ度毎に持て上げさす。
それに心地悪しくてこの法師出でざりける折に朝粥食はんとするに鼻を持て上ぐる人なかりければ。いかにせん。など云ふほどにつかひける童の。我は能く持て上げ参らせてん。更にその御房にはよも劣らじ。と云ふを弟子の法師聞きて。この童のかくは申す。と云へば中大童子にてみめも穢げなくありければ上に召しあげてありけるにこの童鼻持て上の木を執りてうるはしく対ひ居て善きほどに高からず低からず持上げて粥を啜らすればこの内供。いみじき上手にてありけり。例の法師には勝りたり。とて粥を啜るほどにこの童鼻をひんとて側様に向かひて鼻をひるほどに手震ひて鼻持上の木揺ぎて鼻外れて粥の中へふたりと打入れつ。内供が顔にも童の顔にも粥迸りてひともの掛かりぬ。
内供大きに腹立ちて頭顔に掛かりたる粥を紙にて拭ひつつ。己は凶々しかりける心持ちたる者かな。心なしの乞児とは己がやうなる者を云ふぞかし。我ならぬやごつなき人の御鼻にもこそ参れそれにはかくやはせんずる。うたてなりける心なしの痴者かな。おのれ立て立て。とて追ひ立てければ立つままに。世の人のかかる鼻もちたるがおはしまさばこそ鼻持上にも参らめ。迂愚の事述給へる御房かな。と云ひければ弟子ども物の後ろに逃げのきてぞ笑ひける。