宇治拾遺物語 - 037 鳥羽僧正国俊と戯れの事

これも今は昔法輪院大僧正覚猷といふ人おはしけり。その甥に陸奥前司国俊僧正の許へ行きて。参りてこそ候へ。と云はせければ。只今見参らすべし。そなたに暫しおはせ。とありければ待ち居たるに二時ばかりまで出で逢はねば生腹立たしう覚えて。出でなん。と思ひて供に具したる雑色を呼びければ出で来たるに。沓持て来。と云ひければ持て来たるを履きて。出でなん。と云ふにこの雑色が云ふやう。僧正の御坊の。陸奥殿に申したれば。疾う乗れ。とあるぞ。その車率て来。とて。小御門より出でん。と仰せ事候ひつれば。やうぞ候ふらん。とて牛飼乗せ奉りて候へば。侍たせ給へと申せ。時の程ぞあらんずる。やがて帰り来んずるぞ。とて早う奉りて出でさせ給ひ候ひつるに、今はかうて一時には過ぎ候ひぬらん。と云へば。吾雑色は不覚の奴かな。御車をかく召しの候ふは。と我に云ひてこそ貸し申さめ。不覚なり。と云へば。打さし退きたる人にもおはしまさず。やがて御尻切奉りて。きときと能く申したるぞ。と仰せ事候へば力及び候はざりつる。と云ひければ陸奥前司帰り上りて。いかにせん。と思ひ廻すに僧正は定まりたる事にて浴槽に藁を細々と切りて一はた入れてそれが上に筵を敷きて歩き廻りては左右なく湯殿へ行きて裸になりて。えさいかさいとりふすま。と云ひて浴槽にさくと仰け様に臥す事をぞし給ひける。
陸奥前司より筵を引き上げて見れば誠に藁を細々と切り入れたり。それを湯殿の垂布を解きおろしてこの藁を皆取り入れて能く包みてその浴槽に湯桶を下に取り入れてそれが上に囲碁盤を裏返して置きて筵を引き掩ひて然り気なくて垂布に包みたる藁をば大門の脇に隠し置きて待ち居たるほどに二時余りありて僧正小門より帰る音しければ違ひて大門へ出でて帰りたる車呼び寄せて車の尻にこの包みたる藁を入れて家へ早らかに遣りて下りて。この藁を牛のあちこち歩き困じたるに食はせよ。とて牛飼童に取らせつ。僧正は例の事なれば衣脱ぐ程もなく例の湯殿へ入りて。えさいかさいとりふすま。と云ひて浴槽へ躍り入りて仰け様にゆくりもなく臥したるに碁盤の足のいかり差しあがりたるに尻骨を荒う衝きて年高うなりたる人の死に入りてさし反りて臥したりけるがその後音なかりければ近う仕ふ僧寄りて見れば目を上に見つけて死に入りて寝たり。こはいかに。と云へど答もせず。寄りて顔に水吹きなどしてとばかりありてぞ息の下におろおろ云はれける。この戯れいとはしたなかりけるにや。