宇治拾遺物語 - 041 伯の母の事

今は昔多気の大夫といふ者の常陸より上りて愁訴する頃、むかひに越前守といふ人の許に経誦しけり。この越前守は伯母とて世にめでたき歌詠みの祖なり。妻は伊勢大輔姫君達あまたあるべし。
多気の大夫徒然に覚ゆれば聴聞に参りたりけるに御簾を風の吹き上げたるに並べてならず美しき人の紅の一重がさね著たるを見るより。この人を妻にせばや。といりもみ思ひければその家の上童を語らひて問ひ聞けば。大姫御前の紅は奉りたる。と語りければそれに語らひ付きて。われに盗ませよ。と云ふに。思ひ懸けずえせじ。と云ひければ。さらばその乳母を知らせよ。と云ひければ。それはさも申してん。とて知らせてけり。
さていみじく語らひて金百両取らせなどして。この姫君を盗ませよ。と責め云ひければさるべき契りにやありけんぬすませてけり。やがて乳母うち具して常陸へ急ぎ下りにけり。あとに泣き悲しめどかひもなし。
程経て乳母音づれたり。あさましく心憂し。と思へどもいふかひなき事なれば時々うち音づれて過ぎけり。伯の母常陸へかく云ひやり給ふ。
  匂ひきや都の花は東路にこちのかへしの風の告げしは
かへし姉。
  吹き返すこちの返しは身に沁みき都の花のしるべと思ふに
年月へだたりて母常陸守の妻にて下りけるに姉は亡せにけり。女二人ありけるが。かく。と聞きて参りたりけり。田舎人とも見えずいみじくしめやかに恥づかしげによかりけり。常陸守の上を。昔の人に似させ給たりける。とていみじく泣き合ひたりけり。
四年が間名聞にも思ひたらず用事なども云はざりけり。任果てて上る折に常陸の守。無下なりけるものどもかな。かくなん上ると云ひに遣れ。と男に云はれて伯の母上る由云ひに遣りたりければ。承りぬ。参り候はん。とて明後日上らんとての日参りたりけり。
えもいはぬ馬一つを宝にする程の馬十疋づつ二人してまた皮子負ほせたる馬ども百疋づつ二人して奉りたり。何とも思ひたらず。かばかりの事したり。とも思はずうち奉りて帰りにけり。
常陸守の。ありける常陸四年が間の物は何ならず。その皮子の物どもしてこそ万の功徳も何もし給ひけれ。ゆゆしかりけるものどもの心の大きさ広さかな。と語られけるとぞ。この伊勢の大輔の子孫はめでたき幸人多く出で来給ひたるに大姫君のかく田舎人に成られたりける哀れに心憂くこそ。