宇治拾遺物語 - 082 山の横川の賀能地蔵の事

これも今は昔山の横川に賀能知院といふ僧極めて破戒無慚の者にて昼夜に仏の物を取りつかふ事をのみしけり。横川の執行にてありけり。政所へ行くとて塔のもとを常に過ぎ歩きければ塔の許に古き地蔵の物の中に棄て置きたるをきと見奉りて時々衣被りしたるを打脱ぎ頭を傾けて少し少し敬ひ拝みつつ行く時もありけり。かかるほどにかの賀能はかなく失せぬ。
師の僧都これを聞きて。かの僧は破戒な慚の者にて後世さだめて地獄に落ちん事疑ひなし。と心憂がり哀れみ給ふ事限りなし。
かかるほどに。塔のもとの地蔵こそこのほど見え給はね。いかなる事にか。と院内の人々云ひあひたり。人の修理し奉らんとて取り奉たるにや。など云ひけるほどにこの僧都の夢に見給ふやう。この地蔵の見え給はぬがいかなる事ぞ。と尋ね給ふに傍らに僧ありて曰く。この地蔵菩薩はやう賀能知院が無間地獄に落ちしその日やがて助けんとてあひ具して入り給ひしなり。と云ふ。
夢心地にいとあさましくて。いかにしてさる罪人には具して入給ひたるぞ。と問ひ給へば。塔の許を常に過ぐるに地蔵を見遣り申して時々拝み奉し故なり。と答ふ。夢覚めて後自ら塔の許へおはして見給ふに地蔵誠に見え給はず。さはこの僧に誠に具しておはしたるにや。と思すほどにその後また僧都の夢に見給ふやう塔の許におはして見給へばこの地蔵立ち給ひたり。これは失せさせ給ひし地蔵いかにして出で来給ひたるぞ。と宣へばまた人の云ふやう。賀能具して地獄へ入りてたすけて帰り給へるなり。されば御足の焼け給へるなり。と云ふ。御足を見給へば誠に御足黒う焼給ひたり。夢心地に誠にあさましき事限りなし。さて夢覚めて涙止らずして急ぎおはして塔の許を見給へば現にも地蔵立ち給へり。
御足を見れば誠に焼け給へり。これを見給ふに哀れに悲しき事限りなし。さて泣く泣くこの地蔵を抱き出だし奉り給ひてけり。今におはします。二尺五寸ばかりのほどにこそ。と人は語りし。これ語りける人は拝み奉りけるとぞ。