宇治拾遺物語 - 084 世尊寺に死人を掘り出す事

今は昔世尊寺といふ所は桃園大納言住み給ひけるが大将になる宣旨かうぶりに給ひにければ大饗はあるじの料に修理し先づは祝し給ひしほどに明後日とて俄に失せ給ひぬ。つかはれ人皆出で散りて北の方若公ばかりなん凄くて住み給ひける。その若公は主殿頭ちかみつといひしなり。この家を一条摂政殿取り給ひて太政大臣になりて大饗行はれける。坤の角に塚のありける。築地を築き出だしてその角は襪形にぞありける。
殿。そこに堂を建てん。この塚を取り棄ててその上に堂を建てん。と定められぬれば人々も。塚の為にいみじう功徳になりぬべき事なり。と申しければ塚を掘り崩すに中に石の唐櫃あり。あけて見れば尼の年二十五六ばかりなる色美しくて唇の色などつゆ変らでえもいはず美しげなる寝入りたるやうにて臥したり。いみじう美しき衣のいろいろなるをなん著たりける。若かりけるものの俄に死にたりけるにや。金の坏麗しくて据ゑたりけり。入りたる物何も香ばしき類ひなし。あさましがりて人々立ちこみて見るほどに乾の方より風吹きければいろいろなる塵になんなりて失せにけり。金の坏より外の物つゆ留まらず。いみじき昔の人なりとも骨髪の散るべきにあらず。かく風の吹くに塵になりて吹き散らされぬるは希有のものなり。と云ひてその比人あさましがりける。摂政殿いくばくもなくて失せ給ひにければ。この祟りにや。と人疑ひけり。