今は昔天竺に留志長者とて世に裕福しき長者ありける。大方蔵もいくらともなく持ち裕福しきが心の口惜しくて妻子にも況して従者にも物食はせ著することなし。己物欲しければ人にも見せず隠して食ふほどに物の飽かずく多く欲しかりければ妻に云ふやう。飯酒菓物どもなど大らかにして給べ。我につきて物をしまする慳貪の神祭らん。と云へば。物惜しむ心失はんとする。善き事。と喜びていろいろに調じて大らかに取らせければ受け取りて。人も見ざらむ所に行きてよく食はん。と思ひて行器に入れ瓶子に酒入れなどして持ちて出でぬ。
この木の下には烏あり。かしこには雀あり。などえりて人離れたる山の中の木の蔭に鳥獣もなき所にて一人食ひ居たり。心の楽しさ物にも似ずして誦んずるやう。今昿野中。食レ飯飲レ酒大安楽。なほ過2毘沙門天1。勝2天帝釈天1。この心は。今日人なき所に独り居て物を食ひ酒を飲む。安楽なる事毘沙門帝釈にも勝りたり。と云ひけるを帝釈きと御覧じてけり。
憎しと覚しけるにや留志長者が形に化し給ひてかの家におはしまして。我山にて物惜しむ神を祭りたるしるしにや。その神はなれて物の惜しからねばかくするぞ。とて蔵どもを開けさせて妻子を初めて従者どもそれならぬよその人々も修行者乞食に至るまで宝物どもを取り出だして配り取らせければ皆々悦びて分け取りけるほどにぞ誠の長者は帰りたる。蔵ども皆開けてかく宝ども皆人の取り合ひたるあさましく悲しさ云はん方なし。いかにかくはするぞ。とののしれども我とただ同じ形の人出で来てかくすれば不思議なる事限りなし。あれは変化の者ぞ。我こそそれよ。と云へども聞き入るる人なし。
御門に愁訴申せば。母に問へ。と仰せあれば母に問ふに。人に物くるるこそ我が子にて候はめ。と申せばする方なし。腰のほどには黒子といふ物の跡ぞ候ひし。それをしるしに御覧ぜよ。と云ふにあけて見れば帝釈それを学ばせ給はざらんやは。二人ながら同じやうに物の跡あれば力なくて仏の御許に二人ながら参りたればその時帝釈もとの姿になりて御前におはしませば。論じ申すべき方なし。と思ふほどに仏の御力にてやがて須陀洹果を成したれば悪しき心離れたれば物惜しむ心も亡せぬ。
かやうに帝釈は人を導かせ給ふ事はかりなし。そぞろに長者が財を失はんとは何しに思し召さん。慳貪の業に因りて地獄に落つべきをあはれませ給ふ御心ざしによりてかく構へさせ給ひけるこそめでたけれ。