宇治拾遺物語 - 121 蔵人頓死の事

今は昔円融院の御時内裏焼にければ後院になんおはしましける。殿上の台盤に人々数多着きて物食ひけるに蔵人貞孝壱盤に額を当てて眠り入りて鼾をするなめりと思ふにやや暫しになれば。怪し。と思ふほどに台盤に額を当てて喉を。くつくつ。とくつめくやうに鳴らせば小野宮大臣殿未だ頭中将にておはしけるが主殿司に。その式部丞の寝ざまこそ心得ね。それ起せ。と述給ひければ主殿司寄りて起すに竦みたるやうにて動かず。怪しさに掻いさぐりて。はや死給ひにたり。いみじきわざかな。と云ふを聞きてありとある殿上人蔵人物も覚えず物恐ろしかりければやがて向きたる方ざまに皆走り散る。
頭中将。さりとてあるべき事ならず。これ諸司の下部召して舁き出でよ。と行ひ給ふ。何方の陣よりか出だすべき。と申せば。東の陣より出すべきなり。と述給ふを聞きて内の人ある限り東の陣に。舁い出で行くを見ん。とて集ひ集まりたるほどにたがへて西の陣より殿上のたたみながら舁き出でて出でぬれば人々も見ずなりぬ。
陣の口舁きいづるほどに父の五位来て迎えへとりて去りぬ。かしこく人々に見あはずなりぬるものかな。となん人々云ひける。
さて二十日ばかりありて頭中将の夢にありしやうにていみじう泣きて寄りて物を云ふ。聞けば。いと嬉しく己が死の恥を隠させ給ひたる事は世々に忘れ申すまじ。はかりごちて西より出ださせ給はざらましかば多くの人に面をこそは見えて死の恥にて候はましか。とて泣く泣く手を摩りて喜ぶ。となん夢に見えたりける。