宇治拾遺物語 - 122 小槻当平の事

今は昔主計頭小槻の当平といふ人ありけり。その子に算博士なるものあり。名は茂助となんいひける。主計頭忠臣が父淡路守大夫史奉親が祖父なり。生きたらばやんごとなくなりぬべき者なれば。いかで亡くもなりなん。これが出でたちなば主計頭主税頭助大夫史には異人は軋轢ふべきやうもなかんめり。なりつたはりたる職なるうへに才賢く心ばへもうるせかりければ六位ながら世覚えやうやう聞え高くなりもて行けばなくてもありなん。と思ふ人もあるにこの人の家に諭しをしたりければその時陰陽師に物を問ふにいみじく重く慎むべき日どもをかき出でて取らせたりければそのままに門を強く鎖して物忌して居たるに敵の人隠れて陰陽師に死ぬべきわざどもをせさせければその呪詛する陰陽師の曰く。物忌して居たるは慎むべき日にこそあらめ。その日詛ひ合はせばぞ験しあるべき。されば己を具してその家におはして呼び出で給へ。門を物忌ならばよも開けじ。ただ声をだに聞きてば必ず詛ふ験ありなん。と云ひければ陰陽師を具してそれが家に往て門を夥しく叩きければ下種出で来て。誰そ。この門叩くは。と云ひければ。某が頓の事にて参れるなり。いみじき堅き物忌なりとも細目に開けて入れ給へ。大切の事なり。と云はすればこの下衆男かへり入りて。かくなん。と云へば。いと理なき事なり。世にある人の事思はぬやはある。え入れ奉らじ。更に不用なり。疾く帰り給ひね。と云はすればまた云ふやう。さらば門をば開け給はずどもその遣戸から顔をさし出で給へ。自ら聞えん。と云へば死ぬべき宿世にやありけん。何事ぞ。とて遣戸から顔をさし出でたりければ陰陽師その声を聞き顔を見てすべき限り詛ひつ。
この逢はんと云ふ人は。いみじき大事云はん。と云ひつれども云ふべき事も覚えねば。只今田舎へ罷ればその由申さんと思ひて参で来つるなり。早や入り給ひね。と云へば。大事にもあらざりける事によりかく人をよび出でて物も覚えぬ主かな。と云ひて入りぬ。
それよりやがて頭痛くなりて三日といふに死にけり。されば物忌には声高くよその人には逢ふまじきなり。かやうに呪詛する人の為にはそれに付けてかかるわざをすればいと恐ろしき事なり。さてその詛ひ事せさせし人も幾程なくて殃に逢ひて死にけりとぞ。身に負ひけるにや。あさましき事なり。となん人の語りし。