宇治拾遺物語 - 166 ある唐人女の羊に生れたるを不知して殺す事

今は昔唐土に何とかや云ふ司になりて下らんとする者侍りき。名をば慶植と云ふ。それが女一人ありけり。並びなくをかしげなりし。十余歳にして失せにけり。父母泣かなしむ事限りなし。
さて二年ばかりありて田舎に下りて親しき一家の一類はらから集めて国へ下るべき由を云ひ侍らんとするに市より羊を買ひ取りてこの人々に食はせんとするにその母が夢に見るやう。失せにし女青き衣を著て白きさいでして頭を包みて髪に玉の簪一具をさして来たり。生きたりし折に変らず。母に云ふやう。我が生きて侍りし時に父母我を愛しうし給ひて万づをまかせ給へりしかば親に申さで物を取り使ひまた人にも取らせ侍りき。盗みにあらねど申さでせし罪に依りて今羊の身を受けたり。来たりてその報を尽し侍らんとす。明日まさに頚白き羊になりて殺されんとす。願はくは我が命を免し給へ。と云ふと見つ。
驚きて翌旦食物する所を見れば実に青き羊の頚白きあり。脛背中白くて頭に二つの斑あり。常の人の簪さす所なり。
母これを見て。暫しこの羊な殺しそ。殿帰りおはして後に案内申して免さんずるぞ。と云ふに守殿物より帰りて。など人々に参る物は遅き。とて憤る。さればこの羊を調じ侍りて装はんとするに上の御前。暫しな殺しそ。殿に申して免さん。とて留め給へば。など云へば腹だちて。僻事なせそ。とて殺さんとて釣り付けたるにこの客人ども来て見ればいとをかしげにて顔美き女子の十余歳ばかりなるを髪に縄着けて釣り付けたり。
この女子云ふやう。わらははこの守の女にて侍りしが羊になりて侍るなり。今日の命を御前達助け給へ。と云ふにこの人々。あな畏こあな畏こ。ゆめゆめ殺すな。申して来ん。とて行くほどにこの食物する人は例の羊と見ゆ。定めて遅しと腹立ちなん。とて打殺しつ。その羊の泣く声この殺す者の耳にはただ常の羊の泣く声なり。さて羊を殺して煎焼さまざまにしたりけれどこの客人どもは物も食はで帰りにければ怪しがりて人々に問へば。云々なり。と始めより語りければ悲しみて惑ひけるほどに病になりて死にければ田舎にも下り侍らずなりにけり。

宇治拾遺物語 - 167 出雲寺別当の鯰になりたるを知りながら殺して食ふ事