今は昔王城の北上つ出雲寺といふ寺建ててより後年久くなりて御堂も傾きてはかばかしう修理する人もなし。この近う別当侍りき。その名をば。上覚。となんいひける。これぞ前の別当の子に侍りける。相続ぎつつ妻子持たる法師ぞ知り侍りける。いよいよ寺は毀れて荒れ侍りける。
さるは伝教大師の唐土にて天台宗たてん所を撰び給ひけるにこの寺の所をば絵に書きて遣はしける。高雄比叡山かむつ寺と三つの中に何れか善かるべき。とあれば。この寺の地は人に勝れてめでたけれど僧なん乱がはしかるべき。とありければそれに由りて止めたる所なり。いとやんごとなき所なれどいかなるにかさなり果てて悪ろく侍るなり。
それに上覚が夢に見るやう。我が父の前別当いみじう老いて杖つきて出で来て云ふやう。明後日未時に大風吹きてこの寺倒れなんとす。然かるに我この寺の瓦の下に三尺ばかりの鯰にてなん。行方なく水も少なく狭く暗き所に在りてあさましう苦しき目をなん見る。寺倒ればこぼれて庭に匍ひ歩かば童部打殺してんとす。その時汝が前に行かんとす。童部に打せずして賀茂川に放ちてよ。さらば広き目も見ん。大水に行きて頼もしくなんあるべき。と云ふ。
夢覚めて。かかる夢をこそ見つれ。と語れば。いかなる事にか。と云ひて日暮れぬ。
その日になりて午時の未より俄に空かき曇りて木を折り家を破る風出で来ぬ。人々あわてて家ども繕ろひ騒げども風いよいよ吹き増りて村里の家ども皆吹倒し野山の竹木倒れ折れぬ。この寺まことに未時ばかりに吹き倒されぬ。柱折れ棟壊れてずちなし。さるほどに裏板の中に年この雨水溜まりけるに大きなる魚ども多かり。その辺の者ども桶をさげて皆掻き入れ騒ぐほどに三尺ばかりなる鯰ふたふたとして庭に匍ひ出たり。夢の如く上覚が前に来ぬるを上覚思ひもあへず魚の大に楽しげなるに耽りてかな杖の大きなるを持ちて頭につき立てて我太郎童部を呼びて。これ。と云ひければ魚大にて打取らねば草刈鎌といふ物を持ちて鰓を掻き切りて物に包ませて家に持て入りぬ。
さてこと魚などしたためて桶に入りて女どもに戴かせて我が坊に帰りたれば妻の女。この鯰は夢に見えける魚にこそあめれ。何しに殺し給へるぞ。と心憂がれど。こと童部の殺さましも同じ事。あへなん。我は。などと云ひて。こと人まぜず太郎次郎童部など食ひたらんをぞ故御房は嬉しとおぼさん。とてつぶつぶと切り入れて煮て食ひて。怪しういかなるにか。異鯰よりも味の善きは故御房の肉むらなれば善きなめり。これが汁啜れ。など愛して食ひけるほどに大きなる骨喉に立てて。ゑうゑう。と云ひけるほどに頓に出でざりければ苦痛して遂に死に侍りけり。妻はゆゆしがりて鯰をば食はずなりにけりとなん。