今は昔遍照寺僧正寛朝といふ人仁和寺をもしりければ仁和寺の破れたる所修理せさすとて番匠ども数多つどひて作りけり。日暮れて番匠ども各出でて後に。今日の造作はいか程したるぞとはん。と思ひて僧正中結ひ打して高足駄履きてただ一人歩み来てあがるくひども結ひたる許に立ち廻りてなま夕暮に見られけるほどに黒き装束したる男の烏帽子引き垂れて顔確かにも見えずして僧正の前に出で来て蹲居て刀を逆さまに抜きて引き隠したるやうに持てなして居たりければ僧正。かれは何者ぞ。と問ひけり。男片膝つきて。侘人に侍り。寒さの堪へ難く侍るにその奉りたる御衣一つ二つ下し申さんと思ひ給ふなり。と云ふままに飛び懸からんと思ひたる気色なりければ。ことにもあらぬ事にこそあんなれ。かく恐ろしげに威さずとも。ただ乞はでけしからぬ主の心ぎはかな。と云ふままにちうに立ちめぐりて尻をはたと蹴りたりければ蹴らるるままに男かき消ちて見えずなりにければやはら歩み帰りて坊のもと近く行きて。人やある。と高やかに呼びければ坊より小法師走り来にけり。
僧正。行きて火点して来よ。ここに我衣剥がんとしつる男の俄に失ぬるが怪しければ見んと思ふぞ。法師ばら呼び具して来。と述給ひければ小法師走り帰りて。御房引剥に逢はせ給ひたり。御房たち参り給へ。と呼ばはりければ坊々にありとある僧ども火点し太刀提げて七八人十人と出で来にけり。いづくに盗人は候ふぞ。と問ひければ。ここに居たりつる盗人の我が衣を剥がんとしつれば剥がれては寒かりぬべく覚えて尻をほうと蹴たれば失せぬるなり。火を高く点して隠れ居るかと見よ。と述給ひければ法師ばら。をかしくも仰せらるるかな。とて火を打振りつつ上ざまを見るほどにあがるくひの中に落ちつまりてえ働かぬ男あり。彼処にこそ人は見え侍りけれ。番匠にやあらんと思へども黒き装束したり。と云ひて登りて見ればあがるくひの中に落ち挟まりて身じろぐべきやうもなくて倦じ顔つくりてあり。
逆手に抜きたりける刀は未だ持ちたり。それを見付けて法師ばら寄りて刀と髻と肱を取りて引き上げておろして率て参りたり。具して坊に帰りて。今より後老法師とてな蔑りそ。いと便なき事なり。と云ひて著たりける衣の中に綿厚かりけるを脱ぎて取らせて追ひ出だして遣りてけり。