宇治拾遺物語 - 177 魚養の事

今は昔遣唐使の唐土ある間に妻を設けて子を産せつ。その子未だ幼きほどに日本に帰る。妻に契りて曰く。異遣唐使往かんにつけて消息やるべし。またこの子乳母離れんほどには迎へ取るべし。と契りて帰朝しぬ。母遣唐使の来る毎に。消息やある。と尋ぬれどあへて音もなし。
母大きに恨みてこの児を抱きて日本へ向きて児の首に。遣唐使某が子。と云ふ簡を書きて結ひつけて。宿世あらば親子の中は行き逢ひなん。と云ひて海に投げ入れて帰りぬ。
父ある時難波の浦の辺を行くに沖の方に鳥の浮びたるやうにて白き物見ゆ。近くなるままに見れば童に見なしつ。怪しければ馬を控へて見ればいと近く寄り来るに四つばかりなる児の白くをかしげなる浪に付きて寄り来たり。馬を打ち寄せて見れば大きなる魚の背中に乗れり。従者をもちて抱き取らせて見ければ首に簡あり。遣唐使某が子。と書けり。さは我子にこそありけれ。唐にて云ひ契りし児を問はずとて母が腹立ちて海に投げ入れてけるが然かるべき縁ありてかく魚に乗りて来たるなめり。と哀れに覚えていみじう哀しくて養ふ。遣唐使の往きけるに付けてこの由を書き遣りたりければ母も今ははかなきものに思ひけるにかくと聞きてなん。希有の事なり。と喜びける。
さてこの子大人に成るままに手をめでたく書きけり。魚に助けられたりければ名をば。魚養。とぞ付けたりける。七大寺の額どもはこれが書きたるなりけり。

宇治拾遺物語 - 178 新羅国の后金榻の事