宇治拾遺物語 - 179 玉の価無量事

これも今は昔筑紫に大夫貞重と申す者ありけり。この比ある箱崎の大夫則重が祖父なり。その貞重京上りしけるに故宇治殿に参らせまた私の知りたる人々にも心ざさんとて唐人に物を六七千疋が程借るとて太刀を十腰ぞ質に置きける。
さて京に上りて宇治殿に参らせ思ひのままに私の人々に遣りなどして帰り下りけるに淀にて舟に乗りけるほどに人饗応したりければこれを食ひなどして居たりけるほどに端舟にて商ひをする物ども寄り来て。その物や買ふ。かの物や買ふ。など尋ね問ひける中に。玉をや買ふ。と云ひけるを聞き入るる人もなかりけるに貞重が舎人に仕りける男舟の舳に立てりけるが。此処へ持ておはせ。見ん。と云ひければ袴の腰より真珠の大きなる豆ばかりありけるを取り出だして取らせたりければ著たりける水干を脱ぎて。これに代へてんや。と云ひければ玉の主の男。所得したり。と思ひけるに惑ひ取りて舟さし放ちて去にければ舎人も。高く買ひたるにや。と思ひけれども惑ひ去にければ。悔し。と思ふ思ふ袴の腰に包みてこと水干着更へてぞありける。
かかるほどに日数積りて博多といふ所に行き著きにけり。貞重舟より下るるままに物貨したりし唐人の許に。質は少なかりしぞ。物は多くありし。など云はんとて行きたりければ唐人も待ち喜びて酒飲ませなどして物語しける。この玉持の男下衆唐人に逢ひて。玉や買ふ。と云ひて袴の腰より玉を取り出でて取らせければ唐人玉を受け取りて手の上に置きて打振りて見るままに。あさまし。と思ひたる顔気色にて。これはいくら程。問ひければ。欲しと思ひたる顔気色を見て。十貫。と云ひければ惑ひて。十貫に買はん。と云ひけり。誠は二十貫。と云ひければそれをも惑ひ。買はん。と云ひけり。さては価高き物にやあらん。と思ひて。給べ先づ。と乞ひけるを惜みけれどもいたく乞ひければ我にもあらで取らせたりければ。今能く定めて売らん。とて袴の腰に包みて退きにければ唐人すべきやうもなくて貞重と向ひたる船頭が許に来てその事ともなく囀りければこの船頭打頷きて貞重に云ふやう。御従者の中に玉持ちたる者あり。その玉取りて給はらん。と云ひければ貞重人を呼びて。この供なる物の中に玉持ちたる者やある。それ尋ねて呼べ。と云ひてればこの囀る唐人走出でてやがてその男の袖をひかへて。くはこれぞこれぞ。とて引き出でたりければ貞重。誠に玉や持ちたる。と問ひければ渋々にさぶらふ由を云ひければ。いでくれよ。と乞はれて袴の腰より取り出でたりけるを貞重郎等してとらせけり。それを取りて対ひ居たる唐人手に入れ受取りて打振り見て立ち走り内に入りぬ。何事にかあらんと見るほどに貞重が七十貫が質におきし太刀どもを十ながら取らせたりければ貞重はあきれたるやうにてぞありける。古水干一つに換へたる物をそこばくの物に換へて止みにけん。実にあきれぬべき事ぞかし。
玉の価は限りなき物と云ふ事は今始めたる事にはあらず。筑紫にたうしせうずといふ物あり。それが語りけるは物へ行きける道に男の。玉や買ふ。と云ひて反古の端に包みたる玉を懐ろより引き出でて取らせたりけるを見れば木欒子よりも小さき玉にてぞありける。これはいくら。と問ひければ。絹二十疋。と云ひければ。あさまし。と思ひて物へ行きけるを止めて玉持ちの男具して家に帰りて絹のありけるままに六十疋ぞ取らせたりける。これは二十疋のみはすまじき物を少なく云ふがいとほしさに六十疋を取らするなり。と云ひければ男喜びて去にけり。
その玉を持ちて唐に渡りてけるに道の程恐ろしかりけれども身をも放たず守などのやうに首に懸けてぞありける。悪しき風の吹きければ唐人は悪しき波風に逢ひぬれば船の内に一つの宝と思ふ物を海に入るなるに。このせうずが玉を海に入れん。と云ひければせうずが云ひけるやうは。この玉を海に入れては生きてもかひあるまじ。ただ我身ながら入れば入れよ。とて抱へて居たり。さすがに人を入るべきやうもなかりければとかく云ひけるほどに玉失ふまじき報やありけん風直りにければ喜びて入ずなりにけり。
その舟の一の船頭と云ふ者も大きなる玉持ちたりけれどもそれは少し平にてこの玉には劣りてぞありける。かくて唐に行き着きて。玉買はん。と云ひける人の許に船頭が玉をこのせうずに持たせて遣りけるほどに道に落してけり。あきれ騒ぎて帰りもとめけれども。何処にかあらんずる。と思ひ侘びて我が玉を具して。そこの玉落しつればすべきかたなし。それが代りにこれを見よ。とて取らせたれば。我が玉はこれには劣りたりつるなり。その玉の代りにこの玉を得たらば罪深かりなん。とて返しけるぞさすがに此処の人には違ひたりける。この国の人ならば取らざらんやは。
かくてこの失ひつる玉の事を歎くほどに遊女の許に往にけり。二人物語しける序に胸を探りて。など胸は騒ぐぞ。と問ひければ。云々の人の玉を落してそれが大事なる事を思へば胸騒ぐぞ。と云ひければ。理なり。とぞ云ひける。
さて帰りて後二日ばかりありてこの遊女の許より。さしたる事なん云はんと思ふ。今のほどに時かはさず来。と云ひければ。何事かあらん。とて急ぎ行きたりけるを例の入る方よりは入れずして隠れの方より呼び入ければ。いかなる事にかあらん。と思ふ思ふ入りたりければ。これはもしそれに落したりけん玉か。とて取り出でたるを見れば違はずその玉なり。こはいかに。とあさましくて問へば。ここに。玉売らん。とて過ぎつるを。さる事云ひしぞかし。と思ひて呼び入れて見るに玉の大きなりつれば。もしさもや。と思ひて云ひ留めて呼びに遣りつるなり。と云ふに。
ことも疎かなり。いづくぞその玉持ちたりつらん者は。と云へば。彼処に居たり。と云ふを呼びとりてやりて玉の主の許に率て行きて。これは云々してそのほどに落したりし玉なり。と云へばえ争はで。そのほどに見付けたる玉なりけり。とぞ云ひける。聊かなる物取らせてぞ遣りける。
さてその玉を返して後。唐綾一つをば唐には美濃五疋がほどにぞ用ふるなる。せうずが玉をば唐綾五千段にぞ代へたりける。その値の程を思ふに此処にては絹六十疋に代へたる玉を五万貫に売りたるにこそあなれ。それを思へば貞重が七十貫が質を返したりけんも驚くべくもなき事にてありけり。と人の語りしなり。

宇治拾遺物語 - 180 北面の女雑仕六の事