大和国に龍門といふ所に聖ありけり。住みける所を名にて。龍門の聖。とぞ云ひける。その聖の親しく知りたりける男の明暮鹿を殺しけるに照射と云ふ事をしける頃いみじう暗かりける夜照射に出でにけり。
鹿を求め歩りくほどに目を合せたりければ。鹿ありけり。とて押し廻し押し廻しするに確かに目を合せたり。矢比にまはし寄りて火串に引き懸けて矢を矧げて射んとて弓振り立て見るにこの鹿の目の間の例の鹿の目のあはひよりも近くて目の色も変りたりければ。怪し。と思ひて弓を引きさして能く見けるになほ怪しかりければ矢を外して火を取りて見るに。鹿の目にはあらぬなりけり。と見て。起きば起きよ。と思ひて近く廻し寄せて見れば身は一張の革にてあり。なほ鹿なり。とてまた射んとするになほ目のあらざりければただ打ちに打ち寄せて見るに法師の頭に見なしつ。こはいかに。と見て下り走りて火打吹きて椎折とりて見ればこの聖の目打叩きて鹿の革を引き被きてそひ臥し給へり。
こはいかに。かくてはおはしますぞ。と云へばほろほろと泣きて。わぬしが制することを聞かずいたくこの鹿を殺す。我鹿に代りて殺されなばさりとも少しは止まりなん。と思へばかくて射られんとして居るなり。口惜しう射ざりつ。と述給ふにこの男伏し転び泣きて。かくまで思しける事をあながちにし侍りける事。とて其処にて刀を抜きて弓打切り箙皆折り砕きて髻切りてやがて聖に具して法師になりて聖のおはしける限り聖につかはれて聖亡せ給ひければまたそこにぞ行ひて居たりけるとなん。