今は昔上達部のまだ中将と申しける内へ参り給ふ道に法師を捕へて率て往きけるを。こは何法師ぞ。と問はせければ。年比使はれて候ふ主を殺して候ふ者なり。と云ひければ。誠に罪重き業したる者にこそ。心憂きわざしける者かな。と何となく打云ひて過ぎ給ひけるにこの法師赤きまなこなる目のゆゆしく悪しげなるして睨み上げたりければ。由なき事をも云ひてけるかな。と気疎く思し召して過ぎ給ひけるにまた男を搦めて往きけるを。こは何事したる者ぞ。と懲りずまに問ひければ。人の家に追ひ入れられて候ひつる。男は逃げて罷りぬればこれを捕へて罷るなり。と云ひければ。別の事もなき者にこそ。とてその捕へたる人を見知りたれば乞ひ許してやり給ふ。
大方この心ざまして人の悲しき目を見るに従ひて助け給ひける人にて初めの法師も。事善ろしくば乞ひ許さん。とて問給ひけるに罪の殊の外に重ければさ述給ひけるを法師は安からず思ひける。
さて程なく大赦のありければ法師も許りにけり。さて月明かりける夜皆人はまかであるは寝入りなどしけるをこの中将月にめで佇み給ひけるほどに物の築地を越えて下りけると見給ふほどに後より掻きすくひて飛ぶやうにして出でぬ。あきれ惑ひていかにも思し分かぬほどに恐ろしげなる者来集ひて遥かなる山の険しく恐ろしき所へ率て行きて柴の編みたるやうなる物を高く造りたるにさし置きて。さかしらする人をばかくぞする。安き事は偏に罪重く云ひ成して悲しき目を見せしかばその答に炙り殺さんずるぞ。とて火を山の如く焚きければ夢などを見る心地して若く繊弱なるほどにてはあり物覚え給はず。熱さはただあつになりてただ片時に死ぬべく覚え給ひけるに山の上よりゆゆしき鏑矢を射おこせければある者ども。こはいかに。と騒ぎけるほどに雨の降るやうに射ければこれら暫しこの方よりも射けれどあなたには人の数多くえ射合ふべくもなかりけるにや火の行方も知らず射散らされて逃げて去にけり。
その折男一人出で来て。いかに恐ろしく思し召しつらん。己はその月のその日搦められて罷りしを御徳に免されてよに嬉しく。この御恩むくひ参らせばや。と思ひ候ひつるに。法師の事は悪しく仰せられたり。とて日比伺ひ参らせつるを見て候ふほどに。告げ参らせばや。と思ひながら。我身かくて候へば。と思ひ候ひつるほどにあからさまにきと立ち離れ参らせ候ひつるほどにかく候ひつれば築地を越えて出で候ひつるに逢ひ参らせ候ひつれども其処にて取り参らせ候はば。殿も御疵などもや候はんずらん。と思ひて爰にてかく射払ひて取り参らせ候ひつるなり。とてそれより馬にかき乗せ申して確にもとの所へ送り申してけり。ほのぼのと明くるほどにぞ帰り給ひける。
年おとなになり給ひて。かかる事にこそ逢ひたりしか。と人に語り給ひけるなり。四条大納言の事と申すは誠やらん。