今は昔陽成院下り居させ給ひての御所は大宮よりは北西洞院よりは西油の小路よりは東にてなんありける。大きなる池のありける釣殿に番の物寝たりければ夜中ばかりに細々とある手にてこの男が顔をそとそと撫でけり。けむつかし。と思ひて太刀を抜きて片手にて攫みたりければ浅黄の上下著たる叟の殊の外に物侘しげなるが云ふやう。我はこれ昔住みし主なり。浦島が子が弟なり。いにしへより此所に住みて千二百余年になるなり。願はくは免し給へ。此処に社を建てて斉ひ給へ。さらばいかにも守り奉らん。と云ひけるを。我が心ひとつにては恊はじ。この由を院へ申してこそは。と云ひければ。憎き男の云ひごとかな。とて三度上ざまへ蹴あげ蹴あげして萎え萎えくたくたと成して落つるところを口をあきて食ひたりけり。並ての人程なる男と見るほどに夥しく大きになりてこの男を一口に食ひてけり。