今は昔越前国に伊良縁野世といふ者ありけり。取り分きて仕うまつる毘沙門に物も食はで物の欲しかりければ。助け給へ。と申しけるほどに。門にいとをかしげなる女の。家主に物云はん。と述給ふ。と云ひければ。誰にかあらん。とて出で逢ひたれば土器に物を一盛。これ食ひ給へ。物欲しとありつるに。とて取らせたれば喜びて取りて入れてただ少し食ひたればやがて飽き満ちたる心地して二三日は物も欲しからねばこれを置きて物の欲しき折毎に少しづつ食ひてありけるほどに月ごろ過ぎてこの物も失せにけり。
いかがせんずる。とてまた念じ奉りければまたありしやうに人の告げければ初めにならひて惑ひ出でて見ればありし女房述給ふやう。これ下文奉らん。これより北の谷峰百町を越えて中に高き峰あり。それに立ちて。なりた。と呼ばばもの出で来なん。それにこの文を見せて奉らん物を受けよ。と云ひていぬ。この下文を見れば。米二斗渡すべし。とあり。
やがてそのままに行きて見ければ実に高き峰あり。それにて。なりた。と呼べば恐ろしげなる声にて答へて出で来たる物あり。見れば額に角生ひて目一つある物赤き犢鼻褌したる物出で来て跪きて居たり。これ御下文なり。この米得させよ。と云へば。さる事候ふ。とて下文を見て。こは二斗と候へども一斗を奉れとなん候ひつるなり。とて一斗をぞ取らせたりける。
そのままに受け取りて帰りてその入れたる袋の米を使ふに一斗尽きせざりけり。千万石取れどもただ同じやうにて一斗は失せざりけり。これを国守聞きてこの世恒を召して。その袋我に得させよ。と云ひければ国の内にある身なればえいなびずして。米百石の分奉る。と云ひて取らせたり。一斗取ればまた出でき出で来しければ。いみじき物儲けたり。と思ひて持たりけるほどに百石取りはてたれば米失せにけり。袋ばかりになりりぬれば本意なくて返し取らせたり。世恒が許にてはまた米一斗出で来にけり。かくてえも云はぬ長者にてぞ有りける。