これも今は昔因幡の高草の郡さかの里に伽藍あり。国隆寺。と名づく。この国の前の国司ちかなが造れるなり。そこに年老いたる者語り伝へて曰く。
この寺に別当ありき。家に仏師を呼びて地蔵を造らするほどに別当が妻こと男に語らはれて跡を暗うして失せぬ。別当心を惑はして仏の事をも仏師をも知らで里村に手を分ちて尋ね求むる間七八日を経ぬ。仏師ども檀那を失ひて空を仰ぎて手を徒らにして居たり。その寺の専当法師これを見て善心を発して食物を求めて仏師に食はせて僅に地蔵の木作ばかりを仕奉りて彩色珱珞をばえせず。その後この専当法師病つきて命終へぬ。
妻子悲しみ泣きて棺に入れながら捨ずして置きてなほこれを見るに死にて六日といふ日の未の時ばかりに俄にこの棺はたらく。見る人おぢ恐れて逃げ去りぬ。妻泣き悲しみてあけて見れば法師甦りて水を口に入やうやう程経て冥途の物語す。大きなる鬼二人来りて我を捕へて追ひ立てて広き野を行くに白き衣著たる僧出で来て。鬼どもこの法師とくゆるせ。我は地蔵菩薩なり。因幡の国の国隆寺にて我を造りし僧なり。仏師等食物なくて日比経しにこの法師信心をいたして食物を求めて仏師等を供養して我が像を造らしめたり。この恩忘れ難し必ず許すべきものなり。と述給ふほどに鬼ども許し終りぬ。懇ろに道教へてかへしつと見て生き返りたるなり。と云ふ。その後この地蔵菩薩を妻子ども彩色し供養し奉りて長く帰依し奉りける。いまこの寺におはします。