宇治拾遺物語 - 051 一条摂政歌の事

今は昔一条摂政とは東三条殿の兄におはします。御容貌よりはじめ心用ゐなどめでたく才有様誠しくおはしましまた色めかしく女も多く御覧じ興ぜさせ給けるが少し軽々に覚えさせ給ひければ御名を隠させ給ひて。大蔵丞豊蔭。と名告りて上ならぬ女の許は御文もつかはしける。懸想せさせ給ひ逢はせ給ひもしけるに皆人さ心えて知り参らせたり。
やんごとなくよき人の姫君の許へおはしまし初めにけり。乳母母などを語らひて父には知らせさせ給はぬほどに聞き付けていみじく腹立ちて母をせため爪はじきをしていたく述給ひければ。さる事なし。と争ひて。まだしきよしの文書きて給べ。と母君の侘び申したりければ。
  人知れず身はいそげども年を経てなど越え難き逢坂の関
とて遣はしたりければ父に見すれば。さては虚言なりけり。と思ひて返し父のしける。
  東路に行き交ふ人にあらぬ身は何時かは越えん逢坂の関
と詠みけるを見て。微笑まれけんかし。と御集にあり。をかしく。