東北院の菩提講始めける聖はもとはいみじき悪人にて囚獄に七度ぞ入りたりける。七度といひける度検非違使ども集まりて。これはいみじき悪人なり。一二度囚獄に居むだに人としては善かるべき事かは。況していくそくばくの犯しをしてかく七度まではあさましくゆゆしき事なり。この度これが足切てん。と定めて足切りに率て行きて切らんとするほどにいみじき相人ありけり。
それが物へ往きけるがこの足切らんとする者によりて云ふやう。この人己に免されよ。これは必ず往生すべき相ある人なり。と云ひければ。よしなき事云ふものも覚えぬ相する御房かな。と云ひてただ切りに切らんとすればその切らんとする足の上に昇りて。この足の替りに我が足を切れ。往生すべき相ある者の足切られてはいかでか見んや。をうをう。とをめきければ切らんとする者どもしあつかひて検非違使に。かうかうの事侍り。と云ひければやんごとなき相人の云ふ事なればさすがに用ゐずもなくて別当に。かかる事なんある。と申しければ。さらば免してよ。とて免されにけり。その時この盗人心発して法師になりていみじき聖になりてこの菩提講は始めたるなり。
誠に相に協ひていみじく終りとりてこそ亡せにけれ。かかれば高名せんずる人はその相ありとも朧気の相人の見る事にてもあらざりけり。始め置きたる講も今日まで絶えぬは誠にあはれなる事なりかし。