宇治拾遺物語 - 128 河内守頼信平忠恒を攻むる事

昔河内守頼信上野守にてありし時坂東に平忠恒と云ふ兵ありき。仰せらるる事なきが如くにする。討たん。とて多くの軍おこして彼が住家の方へ行き向ふに入海の遥かにさし入りたる向ひに家を造りて居たり。この入海を廻る物ならば七八日にめぐるべし。直に渡らばその日の中に攻めつべければ忠恒渡の舟どもを皆取り隠してけり。されば渡るべきやうもなし。浜ばたに打立ちてこの浜のままに廻るべきにこそ有なれ。と兵ども思ひたるに上野守の云ふやう。この海のままに廻りて寄せば日比経なん。その間ににげもしまた寄せられぬ構へもせられなん。今日の内に寄せて攻めんこそあの奴は存じの外にしてあわて惑はんずれ。しかるに舟どもは皆取り隠したる。いかがはすべき。と軍どもに問はれけるに軍ども。更に渡し給ふべきやうなし。廻りてこそ寄せさせ給べく候へ。と申しければ。この軍どもの中にさりともこの道知りたる者はあるらん。頼信は坂東方はこの度こそ始めて見れ。されども我が家の伝へにて聞き置きたる事あり。この海の中には堤のやうにて広さ一丈ばかりしてすぐに渡りたる道あるなり。深さは馬の太腹に立つと聞く。これほどにこそその道は当りたるらめ。さりともこの多くの軍どもの中に知りたるもあるらん。さらば先に立ちて渡せ。頼信続きて渡さん。とて馬を掻き早めて寄りければ知りたる者にやありけん四五騎ばかり馬を海に打おろしてただ渡に渡りければそれに続ぎて五六百騎ばかりの軍ども渡しけり。
誠に馬の太腹に立ちて渡る。多くの兵どもの中にただ三人ばかりぞこの道は知りたりける。残りはつゆも知らざりけり。聞く事だにもなかりけり。しかるにこの守殿この国をばこれこそ始めにておはするに我等はこれの重代の者どもにてあるに聞きだにもせず知らぬにかく知り給へるは実に人に勝れたる兵の道かな。と皆私語やき怖ぢて渡り行くほどに忠恒は。海を廻りてぞ寄せ給はんずらん。舟は皆取り隠したれば浅道をば我ばかりこそ知りたれ。すぐにはえ渡り給はじ。浜を廻り給はん間にはとかくもし逃げもしてん。さうなくはえ攻め給はじ。と思ひて心静かに軍揃へて居たるに家のめぐりなる郎等周章て走り来て曰く。上野殿はこの海の中に浅き道の候ひけるより多くの軍を引き具して既に此処へ来給ひぬ。いかがせさせ給はん。と戦慄き声に周章てて云ひければ忠恒かねての支度に違ひて。我既に責められなんず。かやうにしたて奉らん。と云ひて忽ちに名簿を書きて文挟に挟みてさし上げて小舟に郎等一人乗せて持たせて迎へて参らせたりければ守殿見てかの名簿を受け取らせて曰く。かやうに名簿に怠文を添へて出だすは既に来たれるなり。さればあながちに攻むべきにあらず。とてこの文を取りて馬を引き返しければ軍ども皆帰りけり。この後よりいとど守殿をば。殊に勝れていみじき人におはします。といよいよ云はれ給ひけり。