宇治拾遺物語 - 131 清水寺御帳賜る女の事

今は昔便なかりける女の清水にあながちに参るありけり。年月積りけれどもつゆばかりその験と覚えたる事なくいとど便なくなりまさりてはては年比ありける所をもその事となくあくがれて寄り付く所もなかりけるままに泣く泣く観音を恨み申して。いかなる前世の報いなりともただ少しの便給び候はん。といりもみ申して御前に俯伏し伏したりける夜の夢に御前よりとて。かくあながちに申せばいとほしく思し召せど少しにてもあるべき便のなければその事を思し召し歎くなり。これを給はれ。とて御帳の帷をいとよく畳みて前に打置かる。と見て夢覚めて御灯の光に見れば夢の如く御帳の帷畳まれて前にあるを見るに。さはこれより外に賜ぶべき物のなきにこそあんなれ。と思ふに身の程の思ひ知られて悲しくて申すやう。これ更に給はらじ。少しの便も候はば錦をも御帳には縫ひて参らせんとこそ思ひ候ふにこの御帳ばかりを給はりて罷り出づべきやうも候はず。返し参らせ候ひなん。と申して犬ふせぎの内にさし入れて置きぬ。
また微睡み入りたる夢に。何ど賢しくはあるぞ。ただ賜ばん物をば給はらでかく返し参らする。怪しき事なり。とてまた給はると見る。さて覚めたるにまた同じやうに前にあれば泣く泣く返し参らせつ。
かやうにしつつ三度返し奉るになほまた返し賜びて果ての度はこの度返し奉らば無礼なるべき由を誡められければかかるとも知らざらん寺の僧は。御帳の帷を盗みたるとや疑はんずらん。と思ふも苦しければまだ夜深く懐に入れて罷り出でにけり。これをいかにとすべきならん。と思ひて引き広げて見て著るべき衣もなきに。さはこれを衣にして著ん。と思ふ心付きぬ。
これを衣にして著て後見と見る男にもあれ女にもあれ哀れにいとほしき者に思はれてそぞろなる人の手より物を多く得てけり。大事なる人の愁訴をもその衣を著て知らぬやんごときなき所にも参りて申させければ必ずなりけり。かやうにしつつ人の手より物を得善き男にも思はれて楽しくてぞありける。さればその衣をばをさめて必ず先途と思ふ事の折にぞ取り出でて著ける。必ず恊ひけり。