宇治拾遺物語 - 186 頼時が胡人を見たる事

これも今は昔胡国といふは唐よりも遥に北と聞くを。奥州の地に続きたるにやあらん。とて宗任法師とて筑紫にありしが語り侍りけるなり。この宗任が父は頼時とて陸奥国の夷にて朝廷に従ひ奉らずとて攻めんとせられけるほどに。古より今に至るまで朝廷に勝ち奉る者なし。我は過ぐさずと思へども責をのみ蒙ればはるくべき方なきを奥地より北に見渡さるる地あんなり。そこに渡りて有様を見てさてもありぬべき所ならば我に順ふ人の限りを皆率て渡して住まん。と云ひて先づ舟一つを調へてそれに乗りて行きたりける人々頼時厨川の二郎鳥海の三郎さてはまたむつまじき郎等ども二十人ばかり食物酒など多く入れて舟を出だしてければいくばくも走らぬほどに見渡しなりければ渡り著きにけり。
左右は遥なるに葦原ぞありける。大きなる川の湊を見付けてその湊にさし入りにけり。人や見ゆると見けれども人気もなし。陸に上りぬべき所やあると見けれども葦原にて道踏みたる方もなかりければもし人気する所やあると川を上りざまに七日まで上りにけり。それがただ同じやうなりければ。あさましきわざかな。とてなほ二十日ばかり上りけれども人の気はひもせざりけり。
三十日ばかり上りけるに地の響くやうにしければ。いかなる事のあるにか。と恐ろしくて葦原にさし隠れて響くやうにする方を覗きて見ければ胡人とて絵に書きたる姿したる者の赤き物にて頭結ひたるが馬に乗り連れて打出でたり。これはいかなる者ぞ。と見るほどに打続き数知らず出で来にけり。河原のはたに集まり立ちて聞きも知らぬことを囀り逢ひて川にはらはらと打入りて渡けるほどに。千騎ばかりやあらんとぞ見え渡る。これが足音の響にて遥かに聞えけるなりけり。徒の者をば馬に乗りたる者の側に引き付け引き付けして渡りけるをばただ。徒渡りする所なめり。と見けり。三十日ばかり上りつるに一所も瀬なかりしに川なれば。かれこそ渡瀬なりけれ。と見て人過ぎて後にさし寄せて見れば同じやうに底ひも知らぬ渕にてなんありける。馬筏を作りて泳がせけるに徒人はそれに取り付きて渡りけるなるべし。なほ上るともはかりもなく覚えければ恐ろしくてそれより帰りにけり。さていくばくもなくてぞ頼時は失せにける。されば。胡国と日本の東の奥の地とはさし合ひてぞあんなる。と申しける。

宇治拾遺物語 - 187 賀茂祭のかへり武正兼行御覧の事