宇治拾遺物語 - 194 秦始皇天竺より自ら来たる僧禁獄の事

今は昔唐土の秦始皇の代に天竺より僧渡れり。帝怪しみ給ひて。これはいかなる者ぞ。何事に依りて来たれるぞ。僧申して曰く。釈迦牟尼仏の御弟子なり。仏法を伝へん為に遥に西天より来たり渡れるなり。と申しければ帝腹立ち給ひて。その姿極めて怪し。頭の髪禿なり。衣の体人に違へり。仏の御弟子。と名のる。仏とは何物ぞ。これは怪しきものなり。ただに返すべからず。獄に籠めよ。今よりのちかくの如く怪しき事云はん者をば殺さしむべきものなり。と云ひて獄に据ゑられぬ。深く閉ぢ籠めて重くいましめて置け。と宣旨を下されぬ。
獄の司の者宣旨のままに重く罪ある者置く所に籠めて置きて戸に数多じやう鎖しつ。この僧。悪王に逢ひてかく悲しき目を見る。我が本師釈迦牟尼如来滅後なりともあらたに見給ふらん。我を助け給へ。と念じ入りたりけるに釈迦仏丈六の御姿にて紫磨黄金の光を放ちて空より飛び来たり給ひてこの獄の門を踏み破りてこの僧を取りて去り給ひぬ。その序に多くの盗人ども皆逃げ去りぬ。獄の司空に物の鳴りければ出でて見るに金の色したる僧の光を放ちたるが大きさ丈六なる空より飛び来たりて獄の門を踏み破りて籠められたる天竺の僧を取りて行く音なりければこの由を申すに帝いみじく恐ぢ懼り給ひけりとなん。その時に渡らんとしける仏法世下りての漢には渡りけるなり。

宇治拾遺物語 - 195 後の千金の事